道を探す者達へ 「殿、駄目か?」 「駄目だ」 「殿、本当に駄目か?」 「本当に駄目だ」 「殿、どうしても駄目なのか?」 「駄目だって言ってんだろうが!」 小太郎と俺は机を挟んで睨み合っていた。 こいつは一度決めたら曲げようとしない、天然なくせに妙に頑固で石頭だ。 とは言う俺も簡単に考えを曲げる性格じゃない。 医務室での攻防は、既に一時間以上経過していた。 俺も小太郎も一歩も譲らずに、定規で描いたような平行線がひたすら続いている。 「何故だ!このように痛々しい姿を晒しているというのに、何故治療を行わない!?」 「医薬品が足りねぇからだ。それに効くとも限らねぇだろ」 「貴様それでも医者か!想像論で怪我をした者を見捨てるなど」 「医者だからこそだ!優先順位ってのがあるんだよ、お前の希望は最下位だ」 手当をしろと迫る小太郎、それを拒否する俺。 傍から見れば俺が外道に見えるだろう、だが俺は自分の選択を間違ってるとは思わない。 ここは戦場、物資の確保が命運を決める場所で余計な事請け負ってる暇はねぇ。 確かに刺激が強いかもしれねーが消毒薬は効くだろう、包帯も少しで済む案件。 だが今ここで小太郎の希望を二つ返事にすれば、絶対コイツは味を占めて繰り返す。 そうすれば結局数が増え、薬も包帯も肝心な時に使えなくなるかもしれない。 俺は何度もそう言って説得しようとしたが、小太郎は耳を貸そうともしやがらねぇ。 コイツも馬鹿の一人だ、しかも銀時とは微妙に違う部類の。 ここに馬鹿じゃねー奴なんていねぇんだがよ。 「このようなか弱き者を護れずとあれば、俺も貴様も武士失格ではないか!」 「生憎俺は武士じゃねーよ、そしてお前が武士失格になろうが興味ねぇし」 「貴様いい加減にしろ!意地を張っている場合ではないだろうが!」 「お前の方こそいい加減目ぇ覚ませ馬鹿野郎!」 怒鳴り合った末に、お互い肩で息をする。 小太郎の腕の中にいるそれは、疲れたのか呆れたのか大人しくしていた。 この一時間、俺達の言い争いに怯える事無くずっと。 「殿はケチだと思わないか?」 「フーーー!!」 「いだだだだ!身体ならいいが顔はやめろ顔は!!」 「お前はどこの芸能人だよ」 同意を求めようと顔を近づけた瞬間、小太郎は小気味良く引っ掻かれていた。 その前足は血で汚れているってのに元気だな、いや…だからこそか? そう、小太郎が手当てしろと迫ってんのはコイツだ。 戦禍に巻き込まれたのか、怪我を負っている見ず知らずの仔猫。 小太郎はその子猫を拾ってきて、わざわざ俺のいる医務室まで連れてきて治療しろと主張する。 だから俺は拒否してんだよ。 小太郎自身が負傷したんなら、俺は嫌々だが治療はする。 だが動物狂いのコイツが拾ってくる奴全部、一々面倒見てたらキリがねぇよ。 物資の有無は生死に関わる、そして俺は猫を治すためにここにいるんじゃねぇ。 「俺は殿に迷惑を掛ける気は無い、だから少しだけ使わせてはくれないか?」 「この時点で既に迷惑なんだよ、何と言おうが駄目なモンは駄目だ」 「負傷した状態では戦禍を逃げ切れぬ、このまま野に放てば…。頼む殿」 「………………」 「一度関わってしまった以上見捨てられない。俺はどうしても治療してやりたいのだ」 心底申し訳なさそうに、だが強い決意を込めた眼で俺を正面から見る小太郎。 顔の爪痕が全てを台無しにしてるけどな。 俺だって鬼じゃねぇ、猫だろうが人間だろうが命には変わりないとは思ってる。 だが俺の優先順位は、戦場にわざわざ出向く馬鹿共の後始末だ。 ここで小太郎に甘い顔は見せられねぇ。 俺は馬鹿共の命が奪われる可能性を、一つでも潰しとく義務があるんだよ。 「小太郎、お前は戦で傷ついた犬猫見つけたら全部連れて帰ってくんのか?」 「それは――」 「そいつら全部に治療用具使って、お前達が重傷負った時に助けられなかったらどうすんだ?」 「だが…この一匹くらいならば大した量ではあるまい」 「その一匹で済む保証はあんのか?…同じ事があった時、お前は犬猫と仲間どっちを見捨てんだ?」 「……っく…!」 「消毒を舐めるな小太郎、これの有無で生存率は全く違うぞ」 消毒薬は戦場において、とても重要な医薬品。 傷口の消毒をしっかりしておけば、敗血症やら壊死やらをある程度防げる可能性がある。 ここにいる奴ら全員が、大小はあるとはいえストレスによる免疫低下を起こしてる。 だから薬で補うしかねぇんだ、自然治癒が弱まってる身体に薬で行う補填は欠かせない。 戦はストレスの塊、普通の人間なら跳ね返せる細菌も馬鹿共には負担が大きい。 肉体にも精神にも悪影響な環境で、健康でいられるワケがねぇんだ。 「殿…」 「何だ?」 「それでも俺は見捨てられぬ、弱き者を護れず侍を名乗る資格など無い!」 沈黙の後、小太郎の口からは平行線の言葉しか出て来なかった。 だがさっきとは明らかに違う、安易な頼みごととは思えない口調だ。 抱いている命と仲間の命を真剣に考えて、悩んで悩んで悩み抜いた末に出した結論。 …ったく、どうしてここに集まってる奴らは揃いも揃って馬鹿なんだろうな。 それでも小太郎が出した答えを、俺が無碍にする資格は無い。 どうやら俺も、決断を下す必要があるようだ。 「……小太郎」 「どうしても駄目なら力ずくでも―――」 「今回だけだ、次はねぇぞ」 「……む!?」 「勘違いすんな、お前の顔のついでに治療するだけだ」 小太郎の傷だらけな顔が輝いたが、俺は敢えて見ずに用意を始める。 簡易な治療台の上に猫を移すよう指示を出し、暴れないようしっかりと固定させた。 そして俺は薬品棚じゃなく、机に置いてある植木鉢に向かった。 そこに生えているのはアロエという草、火傷や消毒に効果がある薬草だ。 俺は小刀で葉を切り取り手早く中身を抜き出し、それをすり潰す。 猫は傷口を舐めるからな、薬品よりも薬草の方が後々面倒が少なくていい。 飼い猫なら包帯で防御できるが、治療後に逃がす野生の猫にそれは無理だ。 「次はお前だ。薬も少ないってのに無駄に怪我しやがって」 「殿」 「何だ?」 「これの名前はどうする?俺は『蕎麦』にしたいと思うのだが」 「……今何て言った?」 「これから長い付き合いになるんだ。これの恩人である殿の意見も――」 俺は無言で小太郎の顔に消毒薬をぶっかけた。 もちろんアロエじゃなく薬品の方を。 顔を押さえ奇声を上げながら床で悶絶する小太郎を、俺は額に青筋を立てて見下ろす。 お前俺の話聞いてたのかよ、物資が足りねぇってのに何考えてやがんだ。 俺は治療だけするって言ったんだ、ここで飼うなんて許可した覚えはねぇ。 「お前も早く行け、傷は浅いから後は自然に治る」 「にゃー」 「……何戻ってきてんだよ」 「みー」 「お前を拾ってきたのは小太郎なんだからそっち行け、それにお前を置く気はねーぞ」 「みゅ。…にぃにぃ」 「……、世渡り上手いなお前」 俺は医者だ、薬品の臭いが染み付いてるせいで嗅覚の鋭い動物はあまり寄ってこない。 それを利用して俺は仔猫を窓から出した、こうすれば俺から逃げて野生に帰るだろうと踏んで。 だがこの仔猫は逃げようともせず、再び窓から入ってきて俺に身体を擦りつける。 俺は思わず呟いていた、無邪気に俺の着物の裾とじゃれあう仔猫に。 「………………」 「みぃ、にゃー」 「くっ、殿だけ肉球に好かれるなどズルイではないか!」 「肉球じゃねーよお前。お前を肉の塊にしてやろうか」 「戦場から救った俺こそ肉球と戯れる権利が――」 「フーーーーーー!!」 「いだだだだだだだ!!何故だ!貴様を連れてきたのは俺だと言うに!!」 人懐っこいのかと思いきや、何故か小太郎の顔をやたら引っ掻いている猫。 その光景に違和感を感じず受け入れている俺自身に、驚愕と諦めが順に過ぎる。 結局こいつら二人、一人と一匹に俺は負けたってわけか…。 俺は仔猫に対して意地になっている小太郎を、八つ当たり気味に部屋から蹴り出した。 猫も小太郎もこれ以上放置したら、何するか分かったモンじゃねぇ。 てか小太郎、お前猫と同レベルかよ…。 「二度と来るんじゃねぇぞ」 扉が閉まる瞬間、傷だらけの顔にいつもの台詞を呟く。 前足に包帯をした仔猫が丸まって眠る机で、俺は医学書を広げて続きを読み始めた。 |