ゲーマー星人絡みの事件を終え、俺は特別休暇を貰った。 功労を認めてくれるのは嬉しいが、趣味が無い俺は仮住まいで読書くらいしか思いつかない。 休みを持て余すだろうと困っていれば、久々に長谷川から連絡が来た。 なんと、道で拾った福引券で商店街福引をしたら特賞が出たらしい。 その商品がとある秘境の温泉旅館のペア宿泊券らしく、一緒に行かないかと俺を誘ってきた。 折角なんだから妻と行けばいいいだろうと言ったが、どうやら都合が悪いらしい。 俺は少し考えてから了承した、これなら特別休暇の消化にピッタリだ。 恩賞として与えられた休暇を返上するのは失礼だし、温泉も嫌いじゃないしな。 「たまには旅行も悪くないか」 黒の行方 バスを降りて少し歩くと、長谷川の言う通り温泉宿らしき建物が見えてきた。 いや…、温泉宿かどうかは微妙だな。 雪積もったままで整備されてない道、改装工事って言葉を知らなさそうな建物…ってか廃屋。 正直屋根の雪に耐えてるだけで立派だ、普通なら重みで潰れてるレベルだし。 けど風情があっていい気がする、俺は天人が考案したホテルよりも伝統ある旅館が好きだ。 建物は縦よりも横に広がってるに限る。 「年季は入ってそうだが中々だな」 「え、中々なの!?俺は豪華ホテル付き温泉旅行って言われてたんだけど!!」 「タダで旅行出来てんだ、少しは感謝したらどうだよ?」 福引の商品なんてこんなモンだろ、高望みし過ぎても意味が無いっての。 それに長谷川、家賃滞納してアパート追い出されたって言ってたな。 だったら屋根があるだけマシって考えろ、普段より絶対マシだろうが。 ……実のところ俺も路上生活の経験者なんだよな、長谷川には言えねーけど。 だってコイツに言ったら絶対同志として甘えてくる、確実に俺の仮住まいに入り浸る。 甘くしたら付け上がりそうだからな。 俺は他人の生活支えるだけの余裕なんて無い、自分の事は自分で何とかしろっての。 しっかし…カラス多いな此処、いかにもな演出掛かっててテレビの舞台にでもなりそうだ。 「いらっしゃいませー、仙望郷の湯にようこそ」 旅館の周り囲ってるカラスに気を取られていると、女将らしき年配の女性が出迎えに来た。 俺は軽く会釈する、見りゃ分かるだろうがとりあえず二名だと言った。 そして旅館の招待券出させようと横を向き、長谷川を見る。 ――長谷川は汗びっしょりで震えていた。 汗?震えは分かるが外は雪が降り積もってて氷点下だぞ、どんな発汗機能だよ。 声を掛けても反応が無い、一点を見つめたまま後退しようとまでしてる。 俺は目線を負った、サングラスしてっから勘だけど。 ……女将?いや、女将の…横か? けどそこに何がいるわけでも無く、ただ崩れ落ちそうな旅館が建っているだけだ。 何なんだよ一体…。 「おい長谷川、ボーっとしてないで招待券出せっての」 「に、兄ちゃん…。あ、あ、ああ、あああああれあれあれ」 「ワケ分かんねー事言ってねぇで早くしろ、寒いだろうが」 「いや俺も寒いよ!だってあんなのウジャウジャ……ひィッ!?」 喉の奥で引きつった声を出し、長谷川は硬直した。 もう声も出ない、あと三秒後に俺殺されるよさようならーみたいな様子で。 長谷川の視線と指先には営業スマイル…ってか薄笑いにも見える女将。 そして女将の視線の先には石みたいに固まってる長谷川。 「………………?」 「案内しますね、こちらになります」 女将は背を向けて宿へと歩いて行った。 二人の顔を見比べていた俺だが、長谷川の態度が分からず眉を顰める。 当然だが女将に殺気は無い、相手は旅館の従業員なんだし長谷川が怯えるハズがない。 この建物は確かに潰れそうだが、今まで路上生活してたコイツが何怯えてんだ? ベンチやダンボールで公園野宿してるより何倍もマシだろ。 だったらカラスか?だがカラスが襲ってくる様子も無い。 そもそもカラスが怖いなら野宿は無理だ、今までの路上生活が初めから不可能になる。 だったら何だ、これ以外の理由があるってのか? 「おい行くぞ長谷川、話あんなら部屋で聞いてやるから」 「ハ、ハイスンマセンデスホント」 氷点下の中、奇跡の発汗を続けていた長谷川はようやく歩き出す。 外装からの予想を裏切らない内部ではあるも、清潔さは保たれているようで文句は無い。 無駄に高級だと落ち着かないし、意外と穴場なんじゃねーかここ。 「ここがアンタ達の部屋ね」 案内された部屋は和室、真ん中にちゃぶ台が一つあるだけの簡素な部屋だ。 それでも二人で寝るにしては中々広く、無駄な装飾が無い分好感が持てた。 俺は小さく感嘆の声を上げて足を踏み出す。 すると、後ろから引きつった声と鈍い音が聞こえ俺は振り向いた。 見ると長谷川が震えながら廊下の壁に背中をぶつけている。 「お前はさっきから何やってんだ?」 「に、兄ちゃん…。あ、あれあれあれ!!」 「はぁ?」 指差される方向を見ても、簡素な部屋が広がるだけで特に何も無い。 何なんだ一体、あれあれ詐欺の練習か? それとも路上生活が長すぎて、ついに幻覚見るようになっちまったとか? ……まさか、どっかの馬鹿に薬やらされておかしくなったのか? 転生郷を始めとした麻薬は高額で取引きされてるから、普通は長谷川の手に入るわけがない。 だが最近はその辺の浮浪者を麻薬中毒にして金を搾り取る、なんて手口も増えてきている。 浮浪者は失うものが無いから、強盗や殺人に手を染めて高額の金を用意してくる可能性が高い。 まさに、一回限りの使い捨てには最適だ。 こいつが最後の一線越えるとは思えねぇが、無理矢理打たれたんなら話は別になる。 「長谷川、今すぐ風呂入りに行くぞ」 「え、あ……」 「じゃあ、ゆっくりしてきなよ」 俺は女将に軽く頭を下げ、即刻風呂道具を用意し始めた。 悪いな長谷川、今まで気づかなくて。 お前、福引で温泉宿当たったなんて嘘吐いてまでここにきたかったんだろ? この寂れた温泉宿なら人が来ない、つまり足がつく可能性が低いからな。 ここなら確かに、じっくりと薬を抜く事が出来る。 俺は知らない振りしながら、だがさり気無く薬を抜く手伝いくらいはしてやる。 安心しろ、お前を奉行所に突き出したりなんかしねぇから。 「身体洗って頭洗って、ゆっくり湯に浸かれば全部忘れんだろ」 「そ、そうだよな…。あんな事絶対ありえないし、もう忘れたいし…」 廊下を歩きながら、俺はさりげなく確認する。 相槌の内容に矛盾が無く、やっぱり長谷川は薬やってんだと俺の中で確定した。 いや、やってんじゃなくて打たれただけ。長谷川は被害者だ。 一刻も早く風呂で汗流して、薬物反応消さねーと。 男湯の暖簾をくぐり、それぞれ適当な籠を選んで俺達は着物を脱ぎ始めた。 「の兄ちゃん、その傷…」 「ああ、昔の古傷だ」 俺の胸元には桂に斬られた時の傷がそのまま残ってる。 医療班からの治療は受けたとはいえ、ロクに病院にも行かずにいたら痕くらい残るだろう。 それに病院に行ったからって、この深さの傷が消えたとも思えねぇしな。 風呂の時でも決して外さないの御守り、これが無かったら死んでた致命傷の傷。 俺は慌てずに答えた、動揺見せて長谷川に何かを感づかせたらマズイ。 俺は仮住まいで長谷川の看病を受けた事がある。 後々考えたら、あの時胸元の包帯を長谷川に見られなかった保証なんか無いからな。 引き戸の入り口を開けると、一瞬湯気に包まれてから見える壮大な景色に俺は目を丸くした。 「凄ぇな、ここ露天風呂だけの温泉かよ」 「あ、あ…、ああああああああああ」 俺の横で長谷川が意味をなさない声を出す。 俺は素早く振り向いた、まさか禁断症状が出ちまったのか? だが時既に遅く、長谷川は真っ裸で旅館備え付けのタオルを振り回しながら走り去った。 俺は舌打ちし後を追おうとするも、自分の格好を思い出し躊躇する。 一瞬考えてから、俺は下着を穿き着物に袖を通しながら改めて後を追った。 他に客がいなさそうとはいえ、女将に見つかったら厄介な事になるからな。 それでもこの時間差はやはり致命的で、俺は長谷川を見失ってしまう。 「アンタ、どうしたんだい?」 「連れが裸のまんま行方不明になっちまったんです」 「そりゃマズイね、アタシも探してあげるよ」 「いえ、錯乱してるんで女将さんだけじゃ危険だと思います」 「そうかい、だったら応援を呼んで探すから安心しな」 「ありがとうございます、見つけたらこれに知らせて下さい!」 俺は女将に携帯番号を書いた紙を渡し、走った。 本来俺の番号は人に渡せるもんじゃないが、今回は緊急事態だ。 誰もいない旅館内を捜し回るも長谷川はいない、人の気配も無い。 まさか外に出たのか? 普通なら考えられないが今の長谷川は普通じゃない、あり得ない話では無かった。 この季節であんな格好のまま外に出たら、風邪どころか肺炎起こしちまうぞ。 くそっ!旅館内は女将に任せて俺は外に出るか? ――ケイタイが震える。 「はい」 「アンタの連れ見つけたよ、こっちで押さえたからアンタは部屋に戻りな」 「本当ですか!?ありがとうございます」 俺は一先ず安堵した。 だが尋常じゃ無い長谷川をよく押さえられたな、女将の協力者は強力らしい。 指示通り俺は部屋に戻り、いつの間にかちゃぶ台の上に置かれていた菓子を摘まむ。 柿の種にピーナッツか、素朴なところがこの旅館に合ってていい感じだ。 懐かしい味を噛みしめていると、ようやく長谷川が戻ってきた。 仙望郷と描かれた半被を身に纏って。 「お前何やってんだよ!それに何だその格好?」 「の兄ちゃん…、俺さ…、ここで働く事になったから…」 「はぁ?」 「マダオって言う名前でよ…。従業員ネームってやつ…かな、ハハ…」 冷や汗を掻き、半笑いを浮かべながら長谷川は話す。 女将達に取り押さえられた後、人生相談が始まって金の無い長谷川に女将が同情したらしい。 そして今日だけのアルバイト扱いで、ここの従業員として働くと。 ――話してる最中、長谷川はしょっちゅう横と俺の顔を見比べていた。 何かを俺に訴えかけようとしているような、そんな様子で。 面と向かって言いたくても言えない、だから気づいてほしいと。 俺は長谷川の顔を真剣に見つめた、長谷川も不安そうな顔で俺の顔を見返す。 やがて、俺の頭の中に一つの考えが過ぎる。 分かったぜ長谷川、お前が何を言いたいかが。 安心しろ、お前は俺がちゃんと守ってやっからよ。 「長谷川…もう大丈夫だ。俺のためを思ってんだろうが、もう隠さなくていいぜ」 「の兄ちゃん……」 「ここの従業員さんも俺もみんなお前の味方だ、だから立派に働いてこい」 「え、ちょっ…いやァァァァァァ!!」 俺がそう言い切った瞬間、長谷川は廊下の奥に引きずられていく。 叫び声がドッペラ―効果で低くなっていくのを聞きながら、俺は敢えて部屋の中で動かずにいた。 ここで俺が甘い顔をしたら、長谷川の人生も女将の計らいも全てが無駄になる。 多分、長谷川の麻薬中毒が女将を始めとした従業員にバレたんだろう。 長谷川の他にも、ここで麻薬成分を抜こうとする奴は腐るほどいそうだからな。 よく考えれば必然だった、長年ここで働いている従業員がそれを察知しないはずが無い。 きっと中毒者限定の更生マニュアル的なものがあって、長谷川にも適用されたんだな。 働く楽しさを知ることは社会復帰への第一歩、だから長谷川を働かせる事にしたんだろう。 禁断症状が出た長谷川を押さえられたんだ、従業員の安全性に問題は無いはず。 「……あれ?」 そう言えば長谷川、さっき引きずられてたよな。 周りに誰かいた気配なんか無かったんだけど、一体誰に連れていかれたんだ? 明らかに襟首掴んだ腕は見えたし、アイツがいなくなる時長谷川は廊下に踵ついてて歩いてないし。 ……そっと部屋の中から顔を覗かせ廊下を見渡してみるも、既に長谷川の姿は無かった。 「ま、いいか」 長谷川が元に戻るんなら、細かいこと気にしてても仕方ねぇよな。 頑張れよ長谷川、俺は応援してるからな。 更生をプロに任せた今、俺が出来る事は長谷川が自分から真実を話すまで待つ事くらいか…。 一先ず俺は客としての役割を果たすため、さっき入れなかった温泉へと向かう事にした。 |