密偵の仕事は楽じゃない、何故ならストレスが多いからだ。 こういう時、趣味の無い人間は困る。 何か楽しみを見つけた方がいいんだろうが、そうする理由も見つからない。 人生を楽しもうなんていう感情、俺の中には残ってないからな…。 とにかく、次の仕事に影響が出ない程度にリフレッシュしないと。 これも仕事の一部、俺にとっては休暇さえ仕事。 「健康ランドにでも行ってみるか…」 黒の行方 鬼兵隊の幹部方と晋助様に報告を終えた俺。 どうやら俺の掴んだ情報はそれなりに有意義だったようで、あの後早速会議に入られた。 武市様から休暇を貰った俺は、特にする事も無くかぶき町をウロついている。 かぶき町は夜の町なので店は殆ど閉まっている、開いてたとしても入る気はないけどな。 どうしたもんだと考えた俺は、ふと自分の掌を見る。 要は身体を休めればいい、体を労わるような事をすれば自然にリフレッシュ出来るんじゃないだろうか。 だったらそういう施設に行けばいい。 ここからだとちょっと距離があるな、通りに出てタクシーでも拾おう。 通りに出れば、丁度タクシーが向かってきたので手を上げた。 「健康ランドまで」 中に乗り込んだ俺は、シートの中央に座り運転手に行き先を告げた。 運転手が了承の返事をすると、車がゆっくりと動き出し道路を走る。 俺は腕を組んで目を閉じた。 その瞬間急ブレーキがかかり、全く予期していなかった俺は勢い良くつんのめる。 「おい、一体何……」 「アンタ、アンタあの時の兄ちゃんだろ!!」 「は?」 「俺だよ俺、アンタのトラックに乗せてもらった!!」 振り返ってこちらを見る運転手の顔を俺はマジマジと眺める。 ……そう言えば、俺この間アジトへ食料運ぶ時にヒッチハイクのオッサン乗せたっけか。 けどグラサンしてたし、第一顔なんてハッキリと覚えてねぇ。 オッサンの顔アップが見苦しくて、俺は目を逸らした。 「そういやそうかも。あれアンタだったのか?」 「ホント会えて良かった!俺ずっと気になってたんだよ、励ましてもらったのにロクに礼も言えなくて」 「別に礼言われるような事してねぇし。それより仕事見つかったんだな」 「ああ…グラサンも失ったが何とかやってる、これもアンタのおかげだ」 声に何ともいえない哀愁はあったが、どうやら自殺はなかったようだ。 俺達は目的地に着くまで、色々な事を話し合った。 話し合ったというか、元グラサンが一方的に喋りまくるだけだが。 もうすぐ休憩時間らしく、俺も別に急いでいないので近くの川原に車を止めることにした。 「ところでよ、アンタ名前なんて言うんだ?」 「…タクシーのお客さん」 「いやいやいやそれ名前じゃないでしょ!しかも最初と変わってるし!!」 今はタクシー運転手とはいえ、コイツは元幕府の重鎮。 迂闊に名前なんか出せるワケがない、正直偽名も面倒臭いしな。 俺の名前は全く世の中に知られていないが、だからこそ名前は知られたくないんだよ。 顔が売れた密偵は役割を果たせない、いるのかどうかすら確認出来ないからこそ密偵なのだから。 「俺さ、幕府で仕事してた頃は確かに安泰だった。けど何か物足りなくてよ」 「………………」 「でも全部失って、失ってアンタや銀さんに励まされて…少しだけマシになれた気がすんだ」 「………………」 「入局管理局の長谷川泰三としてじゃなくてさ、タダのオッサンとして接してくれたアンタを知りたいんだよ」 「だ」 気がつけば、口が勝手に名前を言っていた。 オッサンの…長谷川の口から火のついたタバコが下に落ちる。 こいつは元幕府の重鎮だってのに、何やってんだ俺は…。 「そーか、って言うんだなアンタ」 「名前言ったんだからもういいだろ、俺は健康ランドに行きたいしよ」 そう言ってタクシーの中に戻ろうとした俺に、長谷川が何かを握らせる。 ……紙? 折り畳まれたそれを広げると、そこには電話番号が書かれていた。 「それ俺の番号だからさ、たまには飲みに付き合ってくれよ」 「…気が向いたらな」 その後、俺は無事に健康ランドに辿り着き長谷川と別れた。 風呂に入り、サウナに入り、マッサージを一通り体験したので身体は充分休まったはず。 自動販売機で買ったサプリを飲みながら、ふと電話番号が書かれた紙に目を落とす。 どーすっかなコレ、捨てたら縁は切れるが逆に怪しまれる…か? (…ったく、面倒クセーな) 俺はケイタイ電話を開いて書かれている番号を打ち込む。 しばらく発信音がなるが誰も出ない、そして留守番電話に切り替わった。 電話しろって言っておいて、出ないとかどういう了見だよオイ。 仕事だってのは分かってっけど、とりあえず理不尽な文句を言ってみた。 「だ。今から言うの俺の番号だから覚えとけ」 留守電に録音を終えると、俺は通話を切ってケイタイを仕舞う。 何で俺があのオッサンを…長谷川を受け入れたのか、自分でもよく分からない。 ただ…妻の事で苦しむ姿を、妻への愛を見せられたから俺はおかしくなったのかもしれない。 ちなみに電話番号をアドレスに登録はしない、鬼兵隊関係の番号も登録せず全部暗記している。 もしケイタイを落とした、或いは奪われた時に登録情報があれば一気に足が着く可能性が高くなるからだ。 番号を暗記した俺は紙をゴミ箱へ捨てる、履歴も全部削除済みにして。 さて…、今度はどこに行くか。 洗い髪を押さえつつ、俺は健康ランドを後にした。 |