男は綺麗な目をしていた。 湖水のように落ち着いた瞳、だが触れれば指が落ちそうな殺意を宿している。 黒の帳で覆い隠すなど惜しい、最初はそう思った神威もすぐに納得した。 この男の目は危険だ。 それは例えるならば魔性、映し出したもの全てを闇に呑み込む無の世界。 無の世界は生き物にとって何よりの恐怖であり、同時に何よりの安らぎである。 自他共に危険、帳でもなければ両方の身がもたないだろう。 「……ッ、ぐ…!」 振り下ろした番傘は、黒の侍の足を殺す。 もっとも骨が砕けない程度に加減はしている、既に封じた両腕のように。 鈍い音と苦痛を噛み殺す音、その両方が神威の心を満たす術になった。 だがまだだ、この程度で何が足りるというのだろう。 植物の葉から滑り落ちる朝露程度では、この餓える心は満たされない。 生きるとは奪うこと、奪う事こそが生きる証。 食物も、地位も、居場所も、命も、他人から奪わなければ奪われるだけ。 だから奪うのだ、自分が求めているモノをこの男から。 「痛みってさ、生きてるって実感する一番の方法だよね?」 「………………」 「戦場で攻撃を受けた時、ああ俺は生きてるんだなって。 皮膚が破れて肉が裂けて骨が砕けて、俺もちゃんと血があって内蔵があって命があるんだなって」 「…常人は戦場でそのような思考など持たぬ」 「そう、みんな生きるためだけに必死になる。せっかく自分を実感できるチャンスなのにね」 ぴちゃ、と粘着質な水音が跳ねる。 万斉の身体が僅かに反応し息を呑む気配が伝わった。 静かに上下する薄い筋肉のついた胸の速さに、まだ変化は見られない。 ちらりと顔を見ると思いがけず目が合った。 ――湖水は決して乱れず、ただ静かな殺気を宿したまま己の隙を窺うのみ。 「……っァ…!」 気が付けば噛んでいた、この男の胸の飾りを…音がしそうなほど。 突然の暴挙に堪え切れなかったのか、黒の侍が小さく声を上げて身を竦ませる。 計算していたわけではない、ただ男が男に抱かれる屈辱に顔を歪め怯えればいいと思った。 自分がどうなってしまうのか、何をされるのか予想の付かない恐怖で矜持を崩されてしまえばいいと。 それなのにこの男には何の揺らぎも無い、そよ風程度の動揺も無く涼しい顔で隙を窺うのみ。 神威はそれに酷く苛立ったのだ、万斉の表情を見た瞬間…水が瞬時に沸騰したかのように。 何故自分の感情がこれほど逆撫でされたのかは分からない。 尤も、これが愛や恋などという陳腐な感情で無い事だけは確かだが。 「……ァ、う…っ…!」 「さっきまで何の反応も無かったのに、痛みには正直なんだお兄さんって」 「…ぐっ…ァ…!」 今度は左肩に歯を立ててみた、血の味がするまで。 首を横に向けて身体を硬くするも何の意味も無い、滲む血を舐めながら再度歯で傷を抉れば声が出る。 自分は吸血を必要とする種族ではない、だが血の味は嫌いじゃない。 それに心の底から湧いてくるのだ、この男の無表情を崩し悲鳴を上げさせてやりたい…と。 成程、己は嗜虐に悦を感じる性癖があったらしい。 拷問は戦いとは違うので好きでも嫌いでもなかったが、気に入った相手に行うのはこの限りではない。 己に対する新たなる発見に、神威はますます笑みを深めた。 「痛みは生きてる証。自分が傷つけられて死にそうな時って、生きたいって強く願うでしょ?」 「…ッ、ぅ……」 「生存本能を煽って強くなる手っ取り早い増強剤が痛みじゃないかな?やり過ぎたら逆効果だけどね」 「…っ…うぁっ!」 ビクンと身体を揺らし強い反応を示す。 後孔に潜り込んだたった一本の人差し指、もう持ち上げるだけで一苦労なはずの腕が縋り付いてきた。 ……いや違う、決して縋っているのではない。 指を抜かせようとしているのだ、この男は痛む腕を叱咤して自分の腕の骨を砕こうとしている。 万斉の目を見た神威は一瞬そう思った、眼光鋭く決して死んでいないその目を見て。 地球人が夜兎の骨を砕こうなどと、馬鹿馬鹿しい勘違いだし向こうもそう思ってはいないだろう。 だが、そんな事を思わせるほど侍の目には覇気があった。 そして侍の口が皮肉げにつり上がり言葉を紡ぐ。 「聞…こ、えぬ…」 「ん、何?」 「ぬし…からは、魂のリズムが…聴こえぬ」 あるのは荒廃した音の残骸のみ。 何も無い、乾いた砂漠を吹き荒れる風。 水を求め彷徨う、存在せぬオアシスを求め、踏み込んだ者を傷つける砂嵐の音。 まるで詩のように謎めいた言葉が、闇に乗せられ幻のように溶けていく。 黒の侍が発する声は唄となり、思わず聴き惚れてしまう程の旋律となって。 覚えた感情は――苛立ち。 「黙ってよお兄さん、うるさい」 「…ッあ…っ…!」 万斉が何を言っているのか、神威には分からない。 だが酷く腹立たしい、踏み込まれたくない何かに土足で入られたような気分になった。 内壁を爪で抉れば苦痛の呻きと共に戯言は消えるも、不快感はしこりのように胸に残る。 神威の中に一つの思いが浮かんだ。 目の前にいるこの男を滅茶苦茶にしてやりたいと、感情のまま引き裂いてやりたいと。 ――そうだ、だったら遠慮なくそうしたらいい。 「黒のお侍さん、俺はその言葉の意味良く分かんないけど…一つだけ分かった事があるよ」 「…は…っ、ん…ぅぅ…!」 「水が足りないなら奪えばいいんだよね、丁度水の音がするしさ」 「ん…ァ、あぅ…っ…」 相手の声に色が混じり始めたのは当然だ、わざとそうなるよう動かしているのだから。 あの銀髪の侍との出会いで分かった事が一つある。 侍は酷く信念に拘っている、簡単に言えばプライドを重んじる種族なのだ。 だったら侍を殺すには、そのプライドを折ってやるのが一番だろう。 痛みを与える手法ではなく、相手の感じるところを捜す遣り方に切り替えたのだ。 その効果は抜群で、先ほどまで耐えるだけだった彼が無意識に腰を引いて逃げようとまでしている。 強い光を宿した双眸にも生理的な涙が滲み始め、呼吸も段々と乱れていった。 「ふ…ぅっ、ア……」 「………………」 「く…ァ、は…ンン…!」 内壁を擦れば身を捩り、指の本数を増やせば腰が跳ね、奥へと進めていけば濡れた声が上がる。 だが…何だろう、何か違和感がある。 熱を持った瞳がこちらを鋭く睨みつけ、嗜虐心を煽る最高の表情。 愛撫を施すたびに反応し、中途半端に脱がされた黒い衣が余計に欲を煽る。 痛めつけた腕はもう動かせないのか先程のような抵抗も無く、それでも時たま反射的な動きを見せる。 不満など無い、それどころか最高の拾い物だ。だが違和感がどうしても拭えない。 「んァ…ぁ、あう…っ…」 ――乱暴に指を引き抜けば、喪失感を思わせる声が上がった。 「は…ぁっ、う…ッ―――――!!」 ――自分のモノを一気に突き挿れれば、悲鳴と共に背が反らされる。 「く…ぅ、痛…ッ、…ァァ…!」 ――わざと腰を揺さぶってやれば、苦しげな喘ぎだけが口をついた。 自分によって無理矢理開かされた脚が揺れ、腰を動かすたびに呼吸が乱れる。 噛んでいた唇からは血が滲み、皮肉にも色気を醸し出す紅となった。 黒の侍の身体は上質だ、内壁は侵入を拒むように纏わりつき強く締め付けてくる。 違和感の正体が何か、神威は少しずつ気付き始めていた。 その証拠は…万斉の性器から滲み出てくる先走り、これで確信に変わった。 神威は腰を叩きつける、相手の事を考えて動かそうなどと微塵も思わずに。 ただ、文字通り叩きつけた。 「…ッ…、い…っ…!あ…ぐっ…、う…ァ…!」 闇色の雲に隠れていた月が顔を出し、万斉の裸体を映し出す。 良く鍛えられた身体はところどころ古傷があり、行為によって上気していた。 神威は指で傷の一つに触れてみる、薄く汗を掻いているのか触り心地はしっとりとしていた。 つつ…となぞってみると万斉の身体が再び震える。 「拙者の…、っは…傷に触れるな……!」 「何で?戦いの世界に身を置くなら傷なんて当たり前でしょ、気にしてるの?」 「ぬしに触れられる程…、ッ…拙者の誇りは……軽くない…っ!」 「犯されてる時点で誇りも何も無いと思うんだけど」 本当に侍って変わってるよね。 神威は含み笑いを漏らしてから腰を動かす、粘着質な水音がした。 自分の性器からも先走りが滲んでいるのは知っていたが、勿論それだけじゃない。 これは共同作業だ、自分と…相手による共同作業。 向こうも痛みは無くなっているのか、膝がガクガクと震え目から透明な筋が流れ落ちている。 相手の絶頂が近い、そしてそれは自分も同じ。 こちらの勘が正しければ…この瞬間こそが勝負だろう。 「あ…っア…、ンン…っ、く…ぅっ……!」 鬱血した左腕が辛そうに動かされ、手の平で口を塞いで声を耐える。 右腕は拳を握ったまま動かない、爪が食い込み色が白く変わっている時点でその強さを示していた。 性器も完全に勃ち上がり白い雫が絶えず零れ落ちている、触れてもいないのにこんな反応をするという事は…。 神威は一気に腰を突き上げた、内壁を抉るように何度も何度も叩きつける。 「く…っぅ……!」 「う…ァ、ッ――――――!!」 神威は万斉の中に熱を吐き出した。 万斉も白濁を吐き出し絶頂を迎える。 そして動いたのは同時、闇を切り裂く月明かりの如く一瞬の攻防。 「……ッ…!!」 「……っ…!」 「…っぁ…ぐ……」 意識が完全に落ちた万斉を、神威は黙って見下ろしていた。 左手には万斉が放った短刀が貫通しており、血が手首を伝って服に染みこんでいく。 性器を引き抜き、ズボンを穿き直した神威はゆっくりと立ち上がった。 そして刺さったままの短刀を無造作に抜くと、アスファルトの上に投げ捨てる。 乾いた音がした。 「やっぱりね、思った通りだったよ」 神威は意識の無い万斉に対して笑いかけた。 確実に意識を落とせる急所に拳を入れたので、狸寝入りではないと断言できる。 滴り落ちる左手の血など気にも留めず、神威はただ楽しそうに笑っていた。 「黒のお侍さん、男に犯されるの初めてじゃなかったんでしょ?」 神威が感じていた違和感の正体、それは万斉の行動にあった。 男が男に身体を好きなように弄ばれ犯される、これほど屈辱と言うのに相応しい行為は無い。 普通なら罵声を飛ばし、全力で抵抗をして当たり前だ。 だが彼の抵抗は弱かった、確かに両手両足を封じたのは自分だが…それを差し引いても抵抗が少なすぎる。 それに後孔に指を挿れた時、声に熱がありすぎたのだ。 もっと痛がって当然、苦痛の声を上げてのた打ち回ってもおかしくないのに。 神威がその事に気が付いた時、自然と万斉の真意が分かったのだ。 「まさかわざと抱かれて俺の隙を作ろうなんて、凄い気概だと思わないか?」 「アンタが凄い事やらかした、ってのは分かりますよ」 答えたのは万斉ではない、神威の後ろからだった。 コツコツと靴音が響き一人の男が姿を現す、外灯に照らされながら彼は神威と万斉を見比べる。 そして溜め息を吐いた。 「突然地球に行くとか言って、急に行方不明になったと思ったらこれですか…」 「ねぇ阿伏兎、侍って本当に面白いね。どうやら相手によって誇りの意味が多少変わるみたい」 「そりゃそうだっての」 「俺気に入ったよ、彼は春雨に連れて帰る」 「はァ!?」 頼んだよ、と阿伏兎に処理を任せた神威は左手の傷を舐める。 戦闘能力は銀の侍よりは劣る、だが…吉原の時とはまた違った興奮があった。 知りたいと思った、侍という種族を。 知りたいと思った、この男の心の内を。 「まったく…何で俺がアンタの情事の処理なんてしないといけないんだよ」 「阿伏兎、このお侍さん男に抱かれるの初めてじゃなかったよ」 「へいへい、そーですか」 「イった瞬間に攻撃仕掛けてきたから、暗殺請け負ってる陰間茶屋とかにいた事あるのかもね」 「陰間茶屋ですか…」 「色を使った暗殺は、ちゃんと訓練されて慣れてないと出来ない芸当だし」 光が戻ったその場所に、闇と月の力はいらない。 侍も兎も既に無く、あるのは僅かな戦の名残。 |